その45.最終章

人間同士の出会いに、いつか別れが訪れるように、物事には始まりがあれば、終わりの時がくる。3年前の7月に始まったこのコラムも今回をもって終了の時を迎えた。私が満60歳となり、9月末をもって定年退職となったからである。32年と10ヶ月の勤務であった。継続雇用という選択肢もあったが、私は妻とも話し合い、ここで自分の人生の区切りをつけることにした。

私の入社年齢は比較的遅くて27歳、東京で淡い夢を抱きつつ放浪生活(今風に言えばフリーター生活)をしていた私を、父がたまりかねて帰省をさせたのである。その頃、父は勤めをしながら、趣味で小規模な洋ラン栽培をしていた。それゆえ、親戚の大規模な生産農家の伝手を頼って、私の花満入社を依頼した。面接の際には、若くして他界された2代目社長(当時副社長)と、現会長(当時専務)が立ち会われた。その時聞かれたことは、「事務所と現場、どちらにするか?」と、「酒は飲めるか?」の2点であった。私は、躊躇なく「現場」を希望し、酒については「好きな方です」と答え、採用となった。実におおらかな雰囲気の会社であった。

それから約33年の花満生活については、このコラムでも何度も取り上げた。私が最初に驚いたことは、市場の仕事とは思えない「雑用」の多さである。年末の門松つくりに始まり、盆栽の針金掛け、畑の草取りや植木の剪定、夏場にはソテツの寄せ植えなどもやっていた、と記憶する。当時は、ほとんど営業活動もなく、入荷してきた物をセリにかけ、終了したら全員で掃除をするのである。あとは事務所にまかせで、現場の方は先輩のセリ人の指示で「雑用」となる。冬場は盆栽づくり、夏は山で草取りというのが定番であった。

一仕事済まして休憩時間になると、やたらとジャンケンをするという社風にも、びっくりした。現場は3つのグループ(当時は会場と呼んだ)に分かれており、それぞれ一人ずつ代表を出してジャンケンをする。そして、負けた会場は、自分の所属の社員から金を集め、パンとジュースを買ってきて全員に配らなくてはならない。買ってくるのは若手社員の役目であるが、金を出すのは皆平等なので、真剣勝負である。いい年をした男たちが、人目もはばからず大声でジャンケンをして奇声を上げている姿は、古き良き時代の花満を象徴する風景であったと思う。その日の仕事が終われば一杯飲み、時に詩吟を唸り、卓球やソフトボールの試合をし、社員旅行などもあった。少し後には、月一でゴルフの社内コンペなども長期に渡って行い、開催数も100回を越えていたと記憶している。今思うに、のんびりとした余裕のある時代であった。

過去を振り返ると、不思議と楽しい思い出ばかりがよみがえってくる。しかし、仕事の面で言えば、私の会社人生は順調とは言えないものであった。若手社員であった頃の、現場の業務中心の仕事からはじまり、一人前の市場人としてセリ台にあがるのに、13年も要したのだ。実際にセリをする機会も限られ、5年程度で自らセリを降板した後は、洋ランを中心とした営業のみの担当となった。会社の中での自分の位置付けに納得が出来ず、一時は退職を考えるほど悶々と悩んだ時期もあった。市場の中心となるメインのセリ人としての活動が出来なかったこともあり、私は自分の会社人生を、最後まで「裏方稼業」であったと総括している。

そのような「裏方」の仕事の一つであったが、物流研究会の事務局担当という仕事も体験した。鉢物を扱う市場を中心とした私的な組織であるが、8年の長きに渡る仕事のなかで、全国各地の市場関係のトップの方々との触れ合いをもち、国内のみならず世界各地に行くという体験をもった。事務局というのは、気配りの必要な煩雑な仕事も多く、当時は総会や視察旅行が近づくと憂鬱であった。しかし、今となっては、一般の市場社員とは異なった、得がたい機会をいただいたということに感謝している。現場の業務から始まり、営業で各地を廻り、最後は総務という事務所の仕事まで経験した、自分自身の会社人生に納得している。

長い会社生活を終えて定年退職となった今、不思議と寂しさは感じない。今の私は、これから何をやるかということで、頭が一杯である。30年前に父が建てた、古い鉄骨ハウスを片付け、修理して、新しい生活の場をつくろうと考えている。「親の介護」という問題も避けて通れない状況となっている。これからどのような形の人生となるかは、私自身も予測がつかない。定年退職というのは、期間の定まらない「人生最後の夏休み」であり、まだ開始のゴングが鳴ったばかりである。あわてず騒がず、じっくりと取り組んで行きたいと思っている。

一人で仕事をしていると、会社という組織の有難みがよくわかる。わからないことがあると、聞けば教えてくれる人がいるし、声をかければ助けてくれる人がいる。早い話が、一人だけの仕事だと、少し大きい物を動かすこともできないし、冗談を言ってなぐさめ合う相手もいないのだ。会社にいるということは、乗組員の沢山いる大きな船に乗っているようなものかもしれない。今の私は、手漕ぎの小さな船に乗っているようなものだ。油断すると沈没してしまうので、他の小船に乗っている仲間を見つけて、精神的にも物理的にも、助け合う必要がありそうである。そのためには、会社中心の人生から、地域社会の中での人生に、シフトをチェンジしなくてはならないようである。

最後にあたり、花満のホームページという形で、私の拙い文章を多くの方に読んでもらう機会をいただいたことに感謝し、私のコラムについて感想、助言、意見等をいただいた方々に、紙面をお借りしてお礼を申し上げたい。

ほんまは、ひとりひとりに御礼をせにゃあいけんのんじゃが、このコラムを挨拶の代わりにするけえのう。ほいじゃあ、お互い体に気イつけて、元気にやっていこうや!