その41.少年時代

それは今から50年位前、1960年代の初め、私が小学校の低学年のであった頃の話である。暑い夏の日の夕方、父が私を呼ぶ。「ひとっ走りしてくれんか」私はニッコリとうなずく。自転車に乗り、家から1キロくらい上にある小さな雑貨店まで走る。行きはかなりの坂道なので、私は汗びっしょりである。帰ってきたら、風呂上りの待ちかねていた父に頼まれた買い物を渡す。よく冷えたビールである。「やっぱり、よう冷えたビールはうまいのう」ご満悦の父の横で、私はお駄賃のアイスキャンデーをかじる。父以上にうれしそうに・・・・。

あの頃は家に冷蔵庫などなかった。氷が家にあるわけではないから、店のない田舎で冷えたビールを飲むのは一苦労だったのである。子供たちの好物のアイスキャンデーも、自転車の荷台に木箱を載せたオジサンが売りに来ていた。「チリンチリン」という鈴の音がすると、外に飛び出したものである。「パン屋のおじさん」もいた。自転車の荷台にパンを入れた木箱を高々と重ね、各家を回って売るのである。縁側に、所狭しと並んだ沢山のパンを見て、母がうれしそうに選んでいたものである。そのような、今では考えられないような商売が成り立つ、のんびりとした時代であった。

夕方になると、ある家に子供たちが次々に集まってくる。「おじゃましまーす。テレビ見せてくださーい」白黒の小さなテレビの前は子供たちで一杯、ヤギのような長い白髭をたくわえた家主は、子供たちの後ろで腕組みをして一緒に見ている。子供の目には、怖い顔の爺さんだったが、子供たちが来るのを嫌がるでもなく、やさしい人だったのかもしれぬ。山に自分たちの城(隠れ家)を作り、川で魚を取り、田んぼで相撲を取り、空き地で野球をするーというのが私たちの遊びであった。稲刈りをしたり、風呂を沸かしたり、という家の手伝いもあり、子供たちは忙しかった。

あれから50年、日本は豊かになったと言われる。TVや冷蔵庫など電化製品は普及し、誰でも車を持ち、街はきれいに整備された。子供たちは,TVゲームや塾がよいに忙しく、若者は携帯なしには暮らせない、という社会に日本は変貌した。あの頃は、街は汚く道路も舗装されず、着ている服も皆、粗末であった。食べる物も、今と比べると、ずいぶん質素なものだった。しかし、みんな健康であったし、隣に住んでいる人を知らない、などということない社会だった。あれは、貧しくとも「心豊かな時代」ではなかったろうか?もし、仮に50年前に、日本がタイムスリップすることができたら・・・環境問題、食料自給率、成人病、教育や社会の諸問題のほとんどは解決するのではないか、などと考えることがある。ところで、あの頃の花業界はどうだったのか?古い生産者に聞いたことがある。

「あの時代は、えっと作っとりゃせんけえ、汽車で市に持ってったもんよ。ほいじゃが、花の値段は、今とそう変わらんのんじゃけえ、ようもうかっとったよのう」