その39.介護

人は皆、この世に生まれたら、必ず死をむかえる時がやってくる。人の死亡率は100%である。そして、もう一つ忘れてはならないことは、人は死ぬまで生きなくてはならない、ということである。ここに「介護」という問題が生じる。核家族化が進み、親子が別世帯の家庭が多い今日、大きな社会問題である。

私は病室で父と二人だ。車椅子に座った父は、テレビの方を向いているが、見ているのかどうかは定かでない。時折眼を閉じて、軽い眠りに落ちているようだ。1ヶ月前の夕刻、自宅で倒れた父は、救急車でこの病院に搬送された。診断の結果は脳内出血、さいわい出血が少なく、早めに安定したため、大事に至らなかったが、重い後遺症が残った。脳の左側の言語をつかさどる部分が損傷したため、言葉を発する事ができない。加えて、右半身の手足が全く動かなくなったので、ベッドから起き上がることも、歩くこともできず、すべてのことに人の手を借りなくてはならない体になった。

父は昨年の1月に脳梗塞で倒れ100日余りの入院生活をした。その後のリハビリの成果もあり、歩行に障害はあるものの、自分で日常生活の用を足せるまで回復していた。父の年齢は現在86歳、昨年倒れるまでは病院とは無縁の人生であった。戦前から戦中、そして戦後と、戦火と激動の時代を生きてきたにもかかわらず、ただの1度も入院生活を経験したことがなかった。幸運であると同時に、非常に丈夫で健康な体の持ち主であった。

夕方に病院に行くと、大勢の患者が食堂に集まっている。車椅子にすわり、うつろな眼で、じっと自分の前に食事がくるのを待っている老人たちー私はその光景に接すると、自分自身の人生の最後を見るようで、やりきれない気持ちに陥るのである。「ピンピンコロリ」などという言葉がある。年はとってもピンピンしていて、ある日突然にコロリと死んでしまうという、「理想の死に方」のことらしい。妻や子供などの手を煩わせないで死にたい、と誰もが願っている。脳出血やガン、認知症や大きな事故などで、寝たきり状態や車椅子生活になる人は多い。望んで介護が必要な体になる人は、ただの一人としていないのだ。

今後、父の体はどこまで回復するのだろうか?いつになったら退院できるのか?少しでも話したり、歩いたり出来るようになるのだろうか?考えるほどに憂鬱になってくる。しかし、ものの本によれば、人間の脳というのは、将来を楽天的に考えるように出来ているようである。そうしないと、人間は生きてゆけなくなるのである。妻は私と違って楽天家だ。「そうなったらなったで、その時になって考えればいいじゃない」などと言う。だから、私も父の手を握って言う。「早う元気になって、家へ帰ろうで!」父の体は痩せても、手は肉厚で逞しい。

「何とか死ぬまでマメでおりたいもんじゃが、ええ知恵はないもんかのう」