その38.話芸

先月、出張で東京に行った際に、寄席に入る機会があった。地方にいると経験できないことなので、いつかはと思っていたが、今回泊まったホテルのすぐ近くに寄席があったのが幸運であった。「池袋演芸場」である―行って見ると、開演30分前というのに、すでに長蛇の列である。立て看板に「柳家小三冶」の名前がある。某国営放送の番組でも取り上げられ、当代随一の人気落語家である。無駄をそぎ落とした話芸は、「昭和の名人芸」と言われるが、私は1度も聞いたことがない。開演前からこれだけの人が並んでいるのは、単に寄席ブームだから、というわけではないようである。

3000円の入場券を払い、地下に下りて場内に入るとすでに満席。立ち見も場所を探さなくてはならない、という状態。私は最後列の後ろの壁に寄りかかって見ることにする。座席は百席程度、立ち見を入れても150人は無理かな、という感じの小ホールだ。入れ替わり立ち代り、15分前後の持ち時間で芸人が出てくる。話のみでなく、ギターあり、踊りあり、歌あり、立ち見のつらさを忘れるほどに楽しめる内容であった。

開演して3時間、やっと本日のお目当て「小三冶」師匠の登場である。テレビで見たとおりの、坊主頭で痩せ柄のおっさん、魚屋のオヤジか、大工の棟梁といった雰囲気である。年の頃は60台半ばと言ったところか。「私は、大阪はどうも肌にあわないんですよね」などという話から入る。落語家はその日の舞台での「演目」を楽屋に入ってから決めるというが、彼の場合は舞台に上がり、その日の客に前置きの雑話をしながら、決めるらしい。この話を「まくら」というらしいが、これが実に楽しい。「イタリアのリゾート地」や「銀座の高級レストラン」でのエピソードに客の笑いが絶えない。すると、小三冶は客に釘をさす。「寄席ってのはね。笑いにくるとこじゃないんですよね。話を聞きにくるとこなんですよ」

20分くらい「まくら」が続いたあと、いきなり演目にはいる。何というのかは知らない。「泥棒に入って金を取ろうとしたら、その家の女将さんの口車に乗せられて、逆に金を取られてしまう」という話である。観客は完全に彼の語る古典落語の世界に浸りきっている。一見無駄話に思える長い前置き(まくら)の間に、聞き手の客の心をつかみ、その日の客の雰囲気をつかんだ上で、自然に演目の落語の世界に引き込んでいく。実に巧みな話芸である。マイクを使う必要の無い小さなホールで、話し手をまじかに見ながら、知らない同士がともに笑い、落語の世界に浸ることで不思議な一体感と安堵感が生まれている。これが寄席の魅力であり、人気の理由であろう。小三冶は言う「笑わせるのではない。思わず笑ってしまうのが芸だ」

「不景気な話ばっかりで、いっそええことがない時代じゃけえのう。たまにゃ気持ちよう笑うようなことでもせんと、やっちゃおれんよのう」